陶芸家へ夢の途中
作者:美野田 肇
若かりし頃、テレビ局映像カメラマンとして全国の窯元を取材した。益子、萩、信楽、美濃、備前…そして “九州沖縄の陶芸”まで。 やがて小石原焼の大御所の梶原藤徳さん(故人)と知り合いになり「陶芸は止めた方が良いよ」の忠告を聞かず、時間があれば、小石原に出掛け、ロクロの回し方も 徐々に様になってきて、“俺も満更ではないかな!”の自惚れが、やがて痛い目にあったのです。
朝倉にある私の陶芸工房は平成29年7月5〜6日に亘って1200ミリという前代未聞の豪雨に見舞われました。幸いというか、私は実家のある福岡市で健康診断のため、7月2日に、朝倉から福岡に帰っていました。テレビニュースが延々と”豪雨””避難””命に係る!!”を繰り返していました。地元の人に電話を掛けるが、全く出ません。それもそのはず!住民は避難で必死でしょうから… 三日目ようやく工房近くの農家さんと連絡が取れました。”美野田さんの家は屋根だけしか見えない”…と。道路は寸断。巨大な石の塊などが道を塞いで復旧は時間がかかるとのこと。災害後およそ一ヶ月。漸く、自分の足で工房の傍まで行ける様になりましたが、山からは大量の樹木や土砂が陶芸工房を埋めていました。”命があって良かった!”
愛用のガス窯、作陶室のロクロ、種々の道具など全て流されたり、埋まったりして全てを失ってしまった。
定年になったら「カメラを止めて、陶芸家になるんだ!」。妻や子供たちにそう言い続けていた私だが、78歳を超えた私は陶芸“家”の夢を断たれた。